2026.04.30
AIRは「生活」と「旅」を創る仕事――現代アートの“通訳者”が語る、社会と芸術の交差点

札幌を拠点に、1999年からアーティスト・イン・レジデンス(AIR)の黎明期を支えてきた柴田尚氏。本記事ではGA住友文彦教授が聞き手となり、制作環境の提供にとどまらない「生活」や「旅」としてのAIRの役割や、中国での調査、大学教育におけるアートの可能性を紐解きます。現代アートの「通訳者」を自認する柴田氏の視座から、アートと社会が有機的に結びつくためのヒントを探ります。
――柴田さんは札幌で1999年にS-AIRを立ち上げ、現在はAIRネットワークジャパンの代表を務められています。日本ではこれまで「彫刻シンポジウム」や「国際芸術家村」など近い活動は行われてきましたが、1990年代に現在の実践形態が定着したアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)の黎明期をご存知の方です。その長年の経験と国内外のレジデンス事業に通じている知識を伺い、私たちがTEA+を今後運営していくヒントにしたいと考えています。
基本的にアートの実践の場としては展覧会や美術館が一般的です。ただ、より俯瞰してアートのエコシステム全体を捉えた場合、展覧会や美術館はそのほんの一部でしかありません。日常生活からフィールドワーク、構想づくりやリサーチ、制作や共同作業のプロセス、記録保存、作品の評価や売買などのプロセスにおいて、AIRは制作と一番近い位置付けにあると考えられていますが、もっと幅広い役割を持っているような気もします。柴田さんはご自身の経験から、AIRをどのように位置付けていますか? またAIRは、従来のアートの理解をどう変えてきたのか、あるいは変えていくと思われますか?
まず、これは地域格差の話でもありますが、アーティストは美術館にはほとんど連れて行きません。最初は、美術館の学芸員さんもS-AIRの理事に入っていたので、必ず案内したのですが、文化芸術の先進国から来たアーティストの中には怒り出す人もいました。
「近代(現代もあり)美術館と言っているのに、なぜ、こんなに古いコレクションをやっているのか」と。
地方だと現代アーティストが興味を持つ展覧会は、そんなに多くないんですよね。人間関係をつくるためにもギャラリーは連れて行きますけれど。
「生活の場」と「旅」を提供すること
美術館の代わりに、必ず連れて行く場所があります。それは、温泉です。なるべく早い時期に連れて行きます。露天風呂はほとんどの国の作家が未体験で、行ったあとには大抵、土地に興味を持ち、仕事がしやすくなる。
AIRは制作環境を提供する仕事です。それは生活の場を提供する仕事でもあります。なので、生活をつくることがとても重要なのです。ご飯を食べる、住居をつくる、土地を知る、人と触れ合う……生活の基本から新しいインスピレーションが生まれることがあります。そこがAIRの醍醐味ですね。
特に到着してすぐに作品を作りたがる作家には、なるべくアート以外の地域資源を見てもらいます。なんのために新しい土地に来ているのか、に目覚めてもらうためです。AIRは「旅」をつくる仕事です。意味のある「旅」は、人の人生を変えることがあります。これはアーティストでなくても同じですよね。
芸術家の滞在制作という営みは、AIRという言葉が生まれる前から、古今東西、あらゆる国々でもやってきたことです。これをひとつの近代的なプログラムにしたのがAIRだと考えています。この制度が生まれたおかげで、アーティストはより移動しやすくなった。そして、各地にその痕跡を残すことで、市民の記憶の中にアート作品も共に刻まれていくのではないかと思います。
――たしかに「旅」の延長でとらえることは大事ですね。
作品を展示するだけではないので、かなり個人のプライベートな領域と関わるのもAIRの特徴だと思います。美術館は、日常のプライベートな領域が芸術とどう関係しているのかについて考えることを遠ざけているように感じることもあります。その点でAIRは両者の関係を考える重要な機会を提供していますよね。もし日常の生活や個人の感情などが制作や調査と結びついていると感じられる例があればぜひ教えてください。
記録に残らない作家との出会いや対話
2008年に国際交流基金の主催する「地球市民賞」をいただいたのですが、その時に200万円の副賞をいただいて、次の活動の調査に使おうということになりました。今は日中関係がかなり微妙ですが、当時は上海万博が2010年に控えていたりと、日本の行政も中国に接近していました。
あるときS-AIRのスタッフが、「中国は経済が伸びていて、アートマーケットも活発化しているのだけど、AIRってあるの?」と言いまして。当時は事前調査をしても誰に聞いても、まったくわからなかった。そこで、北京周辺のリサーチに向かったのですが、とにかく驚きました。
結論から言うと、公立の美術館などが主催する現代アートのAIRはなかったです。あるのは、ヨーロッパ資本のAIRか、作家が作品販売で巨額を稼ぎ、アートセンターを自前で作って、その中で自分達が受けたかった欧米のようなアートサポートを……ということで、AIRをやっているものがいくつかありました。中国はプライベートからパブリックをつくっている。その光景に衝撃を受けました。
「798芸術区」という元・軍の施設で、今はギャラリーが100軒ほどあるのですが、たくさんありすぎてどれを見ればいいかわからず悩んでいたところ、ふと、UCCAという、ベルギー人が運営している大きなギャラリーを訪れたんです。すると、切断された動物の剥製がいくつもあり、銅板のようなもので巨大な空間が全て覆われている、明らかに巨額なお金が投じられている強烈な個展が開催されていました。なんとその作家は、1999年のS-AIR初年度のレジデントのチウ・ジージェだったのです。
カフェで10年ぶりに偶然再会し、抱き合って喜びました。われわれが招いた1999年当時、彼は国内では建築展やデザイン展などの経済的なグループ展には参加できても、現代アートの個展はできないようで、しょっちゅう海外に行っていた。その流れで札幌のS-AIRにきていたのです。「オープニングパーティーでさえ、止められるんだ」という、彼の怒りの言葉が耳に残っています。
その後、彼のアトリエに行きました。驚きました。工場くらいの大きさの建物で、こんなに大きなアトリエは未だに見たことがありません。
巨大な石によるパブリックアートの部屋、書道の部屋、CG写真の部屋、ビデオアートの部屋、そして台湾のアートセンターを設計する部屋……それら全てで、アシスタントを雇い、同時につくっていました。彼の取り巻く環境は10年で劇的に変わっており、大成功を手にしていました(彼はその後、2012年の上海ビエンナーレのチーフディレクターとなります)。

チウ・ジージェのアトリエにて(2009/北京郊外)左がチウ・ジージェ、S-AIRスタッフ二名挟んで右が筆者
――チウ・ジージエは私も仕事をしたことがあるので、スタジオに行ったことがあります。AIRはそれぞれの作家を取り巻く国の政治や社会の状況について、個人的な意見や体験を聞くことができるので、それがとても貴重ですよね。展覧会や図録に残らないことこそが、作品の背景にある文脈を理解するうえでとても有効なことがしばしばあります。
また、AIRがアジールとして機能することも大事な気がします。政治的な圧力が強い国に住んでいる人にとって、一時的に居住地を離れ精神的に安心できる時間を得られることがどんなに貴重なことか、日本に住んでいる私たちはあまり理解できていないかもしれません。しかし、いっぽうで安全だからこそ日本のAIRには大きな可能性がありそうです。
アーティストがAIRによって地域にもたらす発見とは
――また、そうした人たちを単に受け入れるだけでなく、こちらにも異なる視点がもたらされ、いろいろな発見があると思います。S-AIRの場合は、ほかにどのようなサポートを心がけていますか。
サポートに関しては最初の1〜2週間に集中して行います。異国での生活の仕方を教える必要がありますから。その後は、定期的にミーティングをしたりもしますが、あまり構いすぎずに自由にさせることも多かったです。
ひとつ、個人的に重視していたのは「スタッフ以外の人間関係をつくってもらうこと」です。
スタッフ以外に友人ができる作家は、よい滞在制作になることが多かった。こちらが予想すること以外の情報が入るので、良くも悪くもですが、生活に溶け込み、豊かな作品となることが多かった。スタッフにベッタリになると、スタッフも大変だし、こちらの意図通りに動くようになってしまう。
――確かに「スタッフ以外の友人」ができると良い滞在制作になるというのは分かる気がします。制作や調査についても、あまり手を貸しすぎないようにする方がいいときもありますね。
柴田さんが経験した中で、アーティストの外部の視点がもたらす発見の具体例があれば教えてください。
2007年に滞在したイギリスのデザイナー、ユリア・ローマンは、滞在前から「北海道の海の生物や漁業をリサーチしたい」と言っていろいろと質問してきました。「ヨーロッパの大型魚の大半は日本で消費されている」と。
彼女は主に「動物」に関した作品をつくる“デザイナー”とのこと。デザインをコンセプトにするコンペなどでいくつか賞を獲っているようでしたが、事前に作品資料を見ても、僕には“アート”にしか見えなかった。日本では全く見たことのないタイプのデザイナーでした。
しかし、実際に招いてみると、地域のデータを調べたり、素材のリサーチをしたり、模型で試作品をつくってからインスタレーションをするなど、デザイン的なアプローチをしていました。
まだ肉のついているマグロの骨をもらってきて、煮詰めて解体し、そこから骨を取り出し、何に使えるか考え、キャンドルスタンドにしたり、魚市場に赴き、毎日大量に廃棄される木製の魚箱を数百個もらってきて、インスタレーションを行ったりしました。
数日間、大量の木箱の運搬を手伝いながら、こんなに大量の魚を日本人が毎日消費していて、ゴミを排出している……日本では全く問題にならない環境問題に目を開かれる経験をしました。
この魚箱のインスタレーションは、札幌中心部の古いビルで、空き家状態になった旧社長室で展示されました。そこから新しいオルタナティブスペース(OYOYO)が生まれ、ビルの解体まで9年間も運営されることになりました。僕も最初から最後までこのスペースの運営に参加していました。
来道するまで見たことがなかった“昆布”を使ってランプシェイドを作った彼女は、滞在後も札幌で知り合った友人から昆布を取り寄せて、世界各地で作品を制作していましたね。

ユリア・ローマンによる空きテナントを活用した魚箱のインスタレーション(2007年、札幌)
――ユリア・ローマンさんは、環境保全や動物倫理について考えながら作品を制作しているように思えます。こうした思考が必要な作業と、手を動かして造形のための作業が結びつく過程を見られる機会も貴重ですね。多くの場合制作は、個人のアトリエで行われるので実際にその過程を眼にすることはないけれど、遠く離れた外国の地にいるために誰かに手伝ってもらう必要がある。それもまたAIRの魅力ですね。
大学教育とAIRの現場を往復するなかで
――柴田さんが在籍する大学は芸術系大学ではないですが、大学での研究・教育活動とAIR、この二つを行き来しながら、それぞれの違いや共通点など、考えていることがあれば教えてください。
私の所属は、北海道教育大学芸術・スポーツ文化学科、芸術スポーツビジネス専攻アートプロジェクト研究室です。もともとは「NPOマネジメント研究室」でしたが近年、「アートプロジェクト研究室」に変えました。
北海道教育大学は北海道だけで札幌、旭川、函館、釧路、岩見沢と五つのキャンパスがあり、スポーツと芸術専攻が集まった岩見沢校に勤めています。国立の教育大学ですが、北海道は20年間で700校以上ほど廃校しており、教員のポストがどんどん減っています。ですから、卒業生のほとんどが民間企業に就職します。その中でも、もっとも教員になれないスポーツと芸術分野で、教員資格が採れなくても卒業させるのが岩見沢校で、その中でも、最初から教員を目指さない専攻として立ち上げたのが私の専攻でした。
私は元々、この大学の札幌校の美術課程の出身、つまり、母校なんです。でも、自分の授業を受ける学生には、美術を学ぶ学生がほとんどいない。私が受け持つ学生の6割くらいはスポーツ系。残りはビジネス系が1割。文化系が3割くらいですが、アニメや漫画、お笑い、音楽、ダンスなど文化全般で、稀に一年に一人くらい美術好きがいるかな?くらいです。
美術を志す学生がほとんどいない自分の専攻の中では、「アートプロジェクト論」を説明しますが、美術専攻の学生も受講する学科共通科目では「起業とファンドレジング」など、あまり、美術の授業では行わないものを担当しています。いつも「現代アートと社会の通訳」をしているような感覚を持っています。
若い頃から、ラジオや新聞、テレビなどの番組を持っていたというのもあるかもしれません。
若い頃から「どうやって美術で食うか?」に悩んでいました。現代アートに興味がない大勢の人々が暮らす社会の中からどうやってお金を生み出すか、ということで、地域資源や教育資源、国際交流、福祉などアートと隣接するあらゆる分野について学び、助成金制度も学ぶ必要がありあました。
「アート×◯◯」というアートプロジェクトの基本がここにあると思います。◯◯というところにはあらゆるものが入る。なるべく、アートから遠いものだと余計に希少性が出て面白い。
廃校の芸術・文化活用を全国で調査し、出版した「廃校・旧校舎の芸術文化活用調査」や、芸術+スポーツ+産業(ワイナリー)を結んで、ヌーヴォーシルクの日仏アーティストを滞在制作させた「空知遊覧」、縄文文化の世界遺産登録を記念して立ち上げた「プロジェクトJOMON」では、北海道と東北、そしてイギリスの古代遺跡調査まで行いました。この時はアーティストではなく、イギリスから考古学者を招待したりしました。これらは、大学に勤めていなければ発想しないアイデアでした。

2023年「プロジェクトJOMON」イギリスのオークニー諸島、SKARA BRAE遺跡調査
未知の調理法を探す旅としてのAIR
――いわゆる研究や調査という学問の手法と、アートの感性がうまくマッチしないもどかしさを感じるときもあります。そんななかAIRを大学がやることの意義はどんなところにあると思いますか?
現代のAIRのはじまりは、1666年のローマ賞と言われています。元々は留学なので、大学や教育との相性はよいはずですし、だからこそ世界各地で美術大学の関わるAIRがあるわけです。
学問はそれぞれに特性があります。例えば「数学」や「科学」ならば新しい公式が見つかったら大変なニュースになります。反対に「歴史」などは、「編集」の側面があると思います。どんどん積み重なっているのに教科書の厚さが変わらない。必ず毎年、削除されたり、編集される部分があるからです。では、「芸術」はどうなのか。
自分は中学にも高校にも勤めていたので、美術の教科書を選ぶことも何度かありましたが、各社でかなり違う。掲載される作品も毎年変わる。「雑誌みたいだ」と思ったことが何度かあります。絶対的なものを教えるのではなく、むしろ現実の「問い」を発見し、評価軸を創造していく面がある分野かもしれません。
現実社会の中は、答えがわかるものというのは、ごく一部のような気がします。むしろ、答えがわからないものの探究が重要です。「芸術」は、そこに到るアプローチを可能な限り広く、深く探索できる手法のひとつであると思います。
AIRは、未知の調理法を探すようなものではないでしょうか。旅人として、料理人として、素材探しから、調理法、そして最終的な味付けまでの過程を体験できる貴重な機会だと思います。
プロフィール:
柴田 尚(しばた・ひさし)
1999年、札幌アーティスト・イン・レジデンス(現S-AIR)を設立。26年間で37カ国106組以上の滞在制作・調査に関わる。北海道教育大学岩見沢校アートプロジェクト研究室教授。AIR NETWORK JAPAN代表。共著に『アーティスト・イン・レジデンスーまち・人・アートをつなぐポテンシャル』(美学出版)など。NPO法人S-AIRは2008年国際交流基金地球市民賞受賞。

Profile

柴田 尚
Hisashi Shibata
- Participants
- Hisashi Shibata
- Date
- 2026.04.30