2026.04.30

    声の旅路を辿って:台湾ブヌン族「Pasibutbut」フィールド調査報告

    Pasibutbutを追う

    台北での彷徨


    台北に滞在して2週間が経った。


    毎日のように台北市内を徒歩と電車で彷徨いながら美術館や文化施設、地元の食堂をまわっていた。台湾に来る前のフィールドワークは、ブラジルのアマゾン東部の先住民の村だったので、移動も大変だし融通が効かないのはもちろんだったけれども、作品制作という目的があったから、生産的な滞在であった。


    しかし今回のように滞在先の美術館から手堅いサポートがあり、何でも手に入る都市の生活に慣れるまではけっこうな時間がかかった。ぼくは一体この地で何をやるべきか、ということを毎日のように悶々と考えていた。


    当初、ぼくは台湾バナナに興味をもっていて、バナナの生態系やバナナを使った先住民の儀式、バナナの資本化などを南米の先住民文化と対峙させながらマルチ・サイトにフィールドワークすることを考えていた。


    Lo Yi-Chunというバナナを使ったアーティストとも会って、彼女からのアドバイスもあって、ぼくは当然のように台湾バナナについて調査をする気でいた。でも、どうやって? バナナの何を? そもそもなぜバナナ? とその切り口を考えていたら、出口のないスパイラルにハマって何も糸口がみつからなくなってしまった。


    フィールドワークに根差した活動をするアーティストは、予め何をするか決めていくタイプと、現地で決めていくタイプの二極に分かれると思うが、どちらかというとぼくは前者のタイプだ。僕自身は比較的行くのが困難で、先行例がほとんどないような民族や場所、調査対象を選ぶようにしている。だけどそういう場所は、政府の許可が必要であったり、ケガや病気のリスクを伴うからワクチンを接種しておく必要もある。またこういう場所でマルチ・サイトにフィールド調査していくとなると、中長期的な時間も要する。そして、何よりも現地の方々との連携も大事にしなくてはならない。そういうことを踏まえると、ある程度の時間と予算を工面しなければならないから、予め何をするか決めておく方が効率的に調査が進むのだ。なので今回も、目的を持ってピンポイントで現地に行き、多少は寄り道しても、そこから広がっていく情報やつながり、問いを自分自身に課しやすくなるし、作品をつくる根拠を見出しやすくなる。


    でも今回は違った。バナナというテーマは結構手強くて、何よりもスケールが大き過ぎる。たまたま台北で仕事をしていた批評家の今福龍太さんとも話をしていて、当然ながらバナナの話をする。それでも糸口が見つからない。そういうなかで、気温と湿度で大変な時期の台北を歩き回っていた僕は、一旦バナナ脳の頭を切り捨て、何か違う興味を探さないと、と感じ始めていた。


    黒澤隆朝の音源集と「Pasibutbut」との邂逅


    そんな時、滞在先のKuandu Museum of Fine Artsの館長Huang Chien-Hungさんが、一冊の本を恵贈してくれた。それは民族音楽学のパイオニア、故・黒澤隆朝先生が1943年に台湾で現地録音した音源集とそのエッセイ集であった。これは、当時の原住民が高砂族(1)と呼ばれていた時代に、故・黒澤先生が、SP盤のレコード26枚分の音源を記録したものだ。あいにく1945年の大空襲の際、先生の手にテスト盤1組だけを残して残りは全て失われたというものだが、本自体は民族の概説や、採譜化された音源、楽器の特性みたいなことが書かれていて大変興味深かった。


    この本にはCDが3枚ついていて、ブヌン族、ルカイ族(2)、ツォウ族、パイワン族、プユマ族、サイシャット族、タイヤル族、セデック族、アミ族の伝統的な歌や音楽が収録されており全部で60曲ほどある。この音源集を聴いていると、自分の耳から離れず、呻吟とした気持ちで何度もループ再生してしまった一つの音源があった。


    それが、今回、台湾でフィールド調査を行う目的となったブヌン族のPasibutbutであった。このキビ・粟の収穫祈願歌は、八声部(実際は四声部合唱)の母音和声を巧みに使分けながら重層的に上昇・下降させて合唱するもので、インドネシアのトラジャ族の葬式歌や、クルジアのポリフォニー音楽ともどこか似ている。


    このPasibutbutの意味は、Pasiが「調和」を指しbutbutに「引張り合い、擦り合わせ」という意味があるようで、協働という意味をこの歌が担っている。この歌には、何でも一人でできてしまう個人主義的な現代社会の構造に対するアンチテーゼとなる要素が含有されていて、歌自体も素晴らしいし、ぼく自身がフォーカスしている「声」そのものだと感じた。この歌に大変感動したので、実際に現場でリサーチをしながら作品制作にまで繋げるきっかけを作りたいと思うようになったのだ。


    しかし、滞在も残す所2週間しかない。早速コーディネーターのデビットに頼み込んでブヌン族の集落でフィールド調査を行いたい旨を伝え、1週間ほどの準備期間中にブヌン族のPasibutbutに関する音楽や資料を聴き漁った。例を挙げれば、台湾人として初めて民族音楽学の博士号を得た故・呂炳川博士(Lü Bing-Chuan)による1965年から1977年にかけて録音した『音源集: 台湾原住民族 - [高砂族]の音楽 = The Music Of Aborigines In Taiwan Island』、同じく1967年に台東の7つのブヌン族の部落で現地録音された『The First Folk Song Collection Movement/Analyzing the Audio Data』、1978年に故・小泉文夫先生が録音した『世界の民族音楽シリーズ 高砂族』、1989年に民族音楽学者のPierre Boisが主宰するInedit社からリリースした『Polyphonies Vocales Des Aborigenes de Taiwan』そして、2004年にチェリストのDavid Darlingがブヌン族の方々と協働した『Mudanin Kata』という素晴らしいアルバムなど枚挙にいとまがない。

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    左: 黒澤隆朝『高砂族の音楽』復刻

    中:呂炳川博士『Bunun The Music Of The Aborigines On Taiwan Island

    右: David Darling & The Wulu Bunun 『Mudanin Kata


    ただ、これらの先行音源を聴いても、しっくりこない部分があった。全ての音源でBununのPusibutbutという風に書かれているものの、実際にブヌン族が居住する台東のあたりを調べてみると、地域毎でブヌンのxxx族という風にサブグループ化して分かれている。だから地域毎で全く同じようPusibutbutが歌われているはずがない。他地域に居住するブヌン族のPasibutbutの歌い方や歌い手などの違い、あとPusibutbutは儀式や民族を切り分けて誰でもできるものなのか、などの疑問が次々と浮かんできた。


    何より、このPusibutbutが歌われるキビや粟の収穫祭の文脈と、歌自体の和声が上昇していく意図がわからないので、それを自分なりに突き止めたいという衝動に駆られた。そのためにも、現場に赴いて、録音・録画という手法を用いて、彼らとの協働作品をつくるきっかけを模索したいと思ったのだ。


    このような経緯から、一ヶ月滞在の最後の1週間、僕とデビットは台東のブヌン族の集落をいくつか訪問するフィールド調査に出掛けることになった。しかし、ぼくもデビットもブヌン族の知人はいない。友人・知人・学生に相談して、ブヌン族の方々が住んでいる地域や現地のキュレーターやアーティストを紹介してもらえたこともあって、支度を整え東部に向かうことにした。


    玉里・卓樂部落へ。詩人サリザンと辿る共生の記憶

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    上:卓樂(たくらく)部落のランドマーク、下:卓樂(たくらく)部落付近の田畑


    東部での最初の調査地は玉里(Yuli)で、花蓮と台東の間にある街だ。


     ここで調査コーディネートしてくれたブヌン族出身の詩人サリザン(沙力浪)によれば、玉里はかつて敵同士だったブヌン族とアミ族が居住していた。いまは友好的な関係となって、漢民族も加わり3民族が助け合って生きていると言っていた。


    彼の運転する車に乗って卓樂(たくらく)部落に聳え立つブヌン族がPasibutbutを歌っているランドマークを横切り、日本統治時代の名残が残る建築物や田畑を通過した。サリザンからは、当時ブヌン族やアミ族が山中で暮らしていた時、日本兵が彼らを下山させて田畑を作らせ、互いを協働させた話や、地元の日本式小学校を建立して日本式の教育をしていた話を聞いた。


    サリザンはブヌン族を代表する詩人である一方、ブヌン族の伝統を保存する役所に勤めている。無知なぼくの質問にも台湾語、日本語、英語を混ぜながら快く応対してくれた。彼によれば、昔はブヌン族は台東から台南にまで居住していて、主に高雄と台南のブヌン族がPasibutbutを歌っていた。そして、居住地域の異なるブノン族同士の結婚や民族間の交流が少しづつ広がるにつれ、Pasibutbut自体も長い年月をかけて広がっていったという。


    この歌は、もともとは四部の和声合唱で6人、8人、10人、12人までが参加できる。歌はリード歌手によって始められ、第二、第三、第四の声が最初の音程に加わり豊かなハーモニーを創り出す。しかし歌い手たちは、家に一年間病人や不幸がないこと、一ヶ月間のセックス禁止などの禁忌があるようで、誰でも参加できるわけではないようだ。ぼくたちは、玉里で清水部落、中平部落、大平部落の3箇所をまわり、幸運なことに中平(なかひら)部落のブヌン族の方々からは数分間のPasibutbut(3)を披露してもらった。サリザンによれば、彼らは農作業を中断し、お昼休憩のタイミングで集まり、ぼくたちのために歌ってくれたと言っていた。


    大平部落の調査では、現地の小学校に赴いた。親切な校長先生と話をして、次回来た時には、卒業生や在校生を集めてみんなでPasibutbutをやるワークショップを催そうということで意気投合した。Pasibutbutは儀式の歌だけども、色々な可能性を広げていくことも大事なのだと話をしてくれたことはとても嬉しかった。日本統治時代の名残を其処彼処で強く感じる玉里での調査は、とてもプロダクティブだった。記録物としての音は少なかったが、現場の人との対話を通じて段階的に調査をしていく自分のスタイルとしては、足跡の良いスタートとなった。

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    玉里での聞き取り調査


    観光の拠点で見えてきた変容する信仰と生活


    玉里の後は鹿野で調査を行った。


    ここではブヌン族の観光者向けの施設、布農集落レジャーファームを拠点にフィールドワークを進めた。なぜ観光者向けの施設を拠点にしたかというと、ここに来れば何らかの手掛かりやコンタクトを得られやすいと思っったからだ。


    フィールドワークを生業にしていると、突然民族の集落や地域にお邪魔して、録音させてくれとは言いにくい。時間に余裕があれば、民族と近いところに常駐し、彼らの文化や生活を参与観察的に調査する方法論を採用できるだろう。ただ今回のぼくたちは明らかに時間が足りていない。そしてブヌン族の民族文化のこともよくわかっていない。Pusibutbutのことを知りたいという欲求だけで現地に来ているだけだ。実際ぼく自身フィールドワークは、先行的な調査をしてから現地に入るよう心がけている。そして一旦現地に入ったら、それまでのお勉強的思考は忘れてとにかく現場のプレゼンスを全身で吸収することに専念する。

    でも今回のケースはちょっと違う。むしろ今回は限りなく観光に近いといえる。そのなかで地域の観光者向けの施設に拠点を置き、そこで仕事をしている方々から情報を聞き取ったり、観光者向けのパフォーマンス(4)を体験して演者の方の話を聞く。または工芸品を手に取って素材や模様を調べて土着の生活スタイルを肌で感じるなど、観光者の目線から民族文化を見据えて情報や資料を収集しながら次回の調査に繋げていく方法を取った。


    何より、田舎の観光者施設というのは、その地の人たちが働き、遠方に住んでる人々が集合しやすいという傾向がある。この施設でも分散している民族の方々が定期的に集まる機会があることを僕は経験的にわかっていた。だから観光者向けのレジャー施設に宿泊することに躊躇は初めからなかった。案の定、ぼくたちはブヌン族の方々と出会い、次の調査を実現するにあたって候補となる地域も特定でき、ブヌン族の方々が集まる宗教イベントにも顔をだすことができた。


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    上:布農集落レジャーファーム内で見つけた台湾原住民の人形たち、下:布農集落レジャーファーム付近の道


    そこでは、ブヌン族の方々キリスト教(プロテスタント)を信仰し、伝統文化を構成する汎神論的アニミズムの世界観を切り離して讃美歌を歌っていたことを知り、非常に興味深かった。少し前まで民族衣装を着用してブヌン族の歌を歌っていた方々が、地域の集会所で催されたイベントで讃美歌を歌っているのだ。これがブヌン族の現状なんだとわかって非常に有意義な時間を過ごすことができた。


    射日神話と上昇する声の旅路


    布農部落休閒農場で滞在した後、ぼくとデビットは花蓮市へ行きアーティストの李徳茂さん夫妻と落ち合って馬遠部落へ向かった。ここではブヌン族の儀礼に詳しい林秀蓮さんから、ブヌン族の木刻暦について教わり、1年間のうちの重要な播種、耕作、収穫などの農業や儀式の日取り決めについて話を聞いた。


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    ブヌン族の木刻暦


    どうやら彼女が住む部落周辺は、タロコ族やアミ族などの他の原住民が住んでいるので、ブヌン族の方々だけが集まって行う儀式はほとんどないようだ。彼女は部屋の奥から弓琴を持ち出してぼくたちに軽く演奏してくれた。これは弓の背を口にくわえ、片手で弦長を変えながら、もう片方の手で弦を弾き、口の中で共鳴させて旋律を奏でる楽器だ。ベトナムでもみたことがあったが、台湾ではブヌン族だけが使用しているとのことだった。

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    林秀蓮さんの弓琴演奏


    彼女からブヌン族についてもう少し話を聞きたかったので、秀蓮さんのお父さん、98歳の林葉成さんと面会させてもらった。健康的な身体と明瞭な滑舌、何よりも流暢に日本語を話す葉成さんと日本語で話ができたのは新鮮だった(20年以上ぶりに日本語を話したと言っていた)。


    彼によれば、Pasibutbutは蜂が飛び回る羽音を模倣していると言っていた。森の中で狩りをしていた人が偶然に蜂の巣を見つけた。この人は蜜蜂の羽音を聞き、一緒に狩りをしていた人もやってきて、違う蜜蜂の羽音を聞き、さらにもう一人がやってきて、という具合に蜂の羽音をそれぞれが模倣していくうちにPasibutbutがはじまったのだと言っていた。故・黒澤先生の音源集にも、Pasibutbutの歌は、山の中で歌う蜜蜂が伝授したと書かれていた。


    どうやらPasibutbutの由来は蜜蜂の羽音を模倣する声が有力説だと思われる。それが他地域との交流や民族間の結婚などを通じて異なる部落へ広がっていくことでブノン族全体における象徴的な歌になったのだろう。続けて、ぼくは布農部落休閒農場で体験したブノン族のキリスト教の由来も聞いてみた。葉成さんによれば、日本の統治時代が終わった後にこの地にやってきたアメリカ人宣教師がキリスト教を布教したと言っていた。その他ブヌン族に伝わる祈祷師の儀式や呪術の話を聞いたがとても刺激的だった。


    時間は非常に短かったけれども、充実した時間を過ごせた。ご高齢ということもあり、ゆっくり話を進めながら、キリのいい時間でぼくたちはお礼を言って葉成さんと別れた。

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    林葉成さん


    今回の玉里や花蓮での現地調査を通じて、現地で出会った方々にブノン族の創世神話を聞いた。その一つがマナフバリという太陽を射る話である。これは他の台湾原住民にも類似した話があるとのことだが、ぼくはこの射日神話にPasibutbutと何らかの関係性があるような気がしている。この話の内容は以下の通りである。


    「二つの太陽が現れ、暑さで幼児が日射死する。幼児はトカゲへと変身する。

    狂った父親は別の息子を連れて、太陽に反撃するために旅立つ。その道中に柚子を植え、耳の下に小米の穂を結んで道中の糧とする。太陽を射とめようと努力したが太陽の光が強すぎてうまくいかない。ついにアシク山のヤシの葉で日陰を作り、太陽を見事に射ることができた。太陽を射た後、天地が暗く道が見えなかったため、石を投げて道を探ったら台湾山鹿の頭に当たった。台湾山鹿が『カッ』と鳴くと天地が突然明るくなった。月が祭儀を教え、こんどはブヌン族が祭儀を行えるようになった。これでブヌン族の『正常』で『文明的な』生活が始まる所以となった」

    ブヌン民族のこの神話を理解すればするほど、Pasibutbutはキビや粟の収穫祭のためのものだけにとどまらないと感じる。ブヌン族の蜂の羽音を真似た声は、射日神話の弓矢が上へ上へと突き抜けながら、新たな光を探し、更新していく一種の旅路と重なる。もちろん、それはPasibutbut特有の音楽論的な和声構造も関係しているわけだが。


    実際にブノン族は、移住を繰り返してきた台湾原住民であり、その移動の過程において最も古い居住地の地名はラムンガン(5)で、次いでアサン・ダインガズ地域、その後いたるところに移住していったというブヌン族の伝説も残っている。


    横軸として様々な地域を移動し、縦軸として太陽・月・宇宙へと上昇して森羅万象を構成する。そこにブヌン族たちの声が宿り、旅をする。ぼくはPasibutbutをもっと知りたいなと感じた。今回のフィールド調査は、Pasibutbutを通じて作品制作の土台作りをしていくための準備となった。ここから様々なパースペクティブを重層化しながら、どのような作品をつくれるか楽しみだ。


    本調査を行うにあたって、数多くの関係者から助言や連絡をいただいた。この調査がきっかけで、2026年に台東サウンドアート・フェスティバルのレジデンス作家に招待していただき、ブヌン族のいくつかの部落でフィールド調査を行う予定でいる。これまでまともに台湾でフィールドワークをすることがなかったが、今回のプロジェクトに参加したことで、今後、継続的に台湾でのフィールドワークと作品制作を実践していければと考えている。




     (1) 戦後の台湾政府(1964)によれば、タイヤル、サイセット、ブヌン、ツォウ、ルカイ、パイワン、プユマ、アミ、ヤミ、サオ族が高砂族の住民で、およそ23万人がいた。

    (2) 日本統治時代はツァリセン族と呼ばれていた

    (3)Pasibutbut中平部落: https://drive.google.com/file/d/1ArmBgDJgqpnAEelicW03mObLO8js5SqP/view?usp=sharing

    (4)Pasibutbut 鹿野部落: https://drive.google.com/file/d/1UFpFHfkZgmaxh0ovly8iHnydLfftyGGU/view?usp=sharing

    (5)「ラムンガン」とはブヌン語に由来する言葉で、ブヌン族が台湾を指す呼称である。



    Profile

    森永泰弘個人写真

    森永 泰弘

    Yasuhiro Morinaga

    サウンド・アーティスト/フィルムメーカー 東京藝術大学大学院を経て渡仏。帰国後はエスノグラフィーの手法を科学技術的に磨き上げ、楽器や歌の初源、儀礼や祭祀を記録しながら通文化的な視点で作品を制作している。

    Participants
    Yasuhiro Morinaga
    Date
    2026.04.30

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